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うちの店は、居酒屋にしてはかなり早く終わるほうだ。私は、その労働時間と時給との好条件につられてこの某チェーン店のバイトを選んだのだが、彼に言わせてみれば、こんなのは居酒屋じゃないんだとか。居酒屋は、始発の時間まで開いているべきだ、と。
彼も若い頃は、始発まで開いている居酒屋にかなりお世話になったらしい。居酒屋に勤めているのは、その恩返しがしたいからだとか。だから、彼の言うところの、居酒屋「もどき」で働いているのは正直不服らしい。
じゃあ、もう、あなたなんか、辞めちゃえば、いいのにな。
いなくなってよ。私の前から。
私がいなくなるんじゃなくて、あなたが。


22時30分ラストオーダーの、23時閉店。最後のお客様が帰ってから、みんなウキウキのラスト作業。順調ならば、23時30分には帰ることができる。
「洗い場、終わった?」
私よりひとつ年上のアルバイトの鈴木さんが、洗い場とホールとを区切る暖簾から、首だけだして聞いてきた。切れ長の瞳の、長身の女性である。
「はい、だいたいは」
私は、さんかくきんを取って、髪を整えながら言った。
時計を見やると、23時38分だった。うん、上出来、かな。仕事できない人と一緒になると0時越すし。やっぱ社会人は違うなあ。
鈴木さんは、自身もさんかくきんを取り、
「うっし、帰ろ帰ろー」
明るい金髪のロングヘアを振りながら言った。何かの映画で、これと似たようなシーンを見たな。鈴木さんの髪から、甘いフローラルな香がした。シャンプー、マシェリかな。
レジを覗くと、店長が難しい顔をしていた。どの職種でも、レジ締め作業というのは根気と忍耐、そして苛立ちとの勝負である。
「てんちょー、帰っていいですか?」
鈴木さんの問いに、店長は、思いっきり眉間に皺を寄せ、ジト目で鈴木さんを見、
「鈴木ィー、お前、レジ間違ったろ?」
これからするレジ誤差修正のわずらわしさに対する、不満そうな、めんどくさそうな声を出した。鈴木さんは、少し目を開き、
「えっ、あたしじゃないですよ」
「えー、じゃあ、三浦さん?」
遺伝だろうか、店長の透き通った茶色い瞳がこちらを向く。言われて、私は小さく首を振り、
「いえ、私、今日レジ入ってません」
「そっか。うーむ…」
「じゃあ誰だろね?」
私の返答に、顎に指を当てながら呟く鈴木さん。飲食店の店員にしては長めの爪だけれど、毎回店長のチェックをかいくぐるのが大変らしい。鈴木さんは、店長に向かって、
「レジ誤差いくらっすか?」
店長は、煙草臭いため息と共に言葉を吐いた。
「二千円」
「うわ、けっこー行きましたねー」
「たぶん今日、二千円札出してきたお客様何名かいたから、そこでなんかあったんだろ」
「二千円札!出た、紫式部!」
鈴木さんが意味もなく大きな声で、日本の誇る古典女流作家の名前を口にし、笑いながら手を叩いた。想像力の豊かな人である。
「原因追求しなきゃ…。あーめんどくせぇ!今日めっちゃ眠いのにー…うはーっ」
店長は、頭をがしがしとかきむしり、レジに両腕を乗せて突っ伏した。そんな店長を尻目に、鈴木さんは『しめた!』という感じで、私を目で促した。
10秒程たってから、店長が、もしこれが漫画のワンシーンだったら確実にひらめいた時に現れる豆電球の絵が見えるだろう笑顔で顔を上げ、
「そうだ!鈴木、今度お前のシフト、希望通りにしてやるから、今日はお前がレジ誤算修せ…」
「お疲れ様でーす!」
「店長、また明日〜」
店長の言葉を無視して、すでに店のロッカールームへ続く裏口へと来ていた私たちは、爽やかな笑顔と声で言った。こういうときは逃げるが一番、と大昔から決まっている。
「三浦さん!来月のシフト、早く出してね!」
店長の大きな声は、聞こえなかったふりをする。先のことは、ちょっと保留にしているから。




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