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「ヒロくぅ〜ん」
トイレから出ると、さも楽しそうに笑いながら俺を呼ぶ声がした。
振り返ると、千鳥足でこちらにやってくる小さな影がひとつ。ユウコだった。
「うわ!お前、顔真っ赤じゃん!」
「えへへぇ〜飲みすぎちった☆のみすぎろみすひ☆」
「なんだか愉快に言ってる場合か!どんだけ飲んだんだよ?」
「たけむらとォ〜きわかにィ〜無理矢理飲まされたぁ〜」
「最早呼び捨てなあたりが事態の深刻さを物語ってんな。うちのサークルであの二人を呼び捨てにできる後輩なんていないのに」
「うふふぅ〜。ダメらぁ〜。ヒロくん、抱きしめて支えてぇ〜」
「はいはい」
ふらふらと俺に寄りかかる彼女の肩を押し戻す。まあ、酔っ払いの対応なんてこんなもんだ。
「でも、お前下戸なのにあの二人が飲ますなんて、珍しいな」
「だってぇ〜、わたしがぁ〜ヒロくんと付き合ってるっつったらぁ〜、あいつら妬いてきやがったぁ〜」
俺は、一瞬固まった。
「…お前、ンなこと言ったのか?」
「うん、言っらよ☆なによヒロユキぃ〜、てめぇなんか文句あんのかぁ〜?あ、不満そうな顔〜」
「別に不満なんかねーよ」
言いつつ、俺は店員に頼み、冷たい水をユウコに差し出した。廊下だけどもういいや、とりあえずユウコを座らせて、隣にしゃがみこむ。
「あーん飲めないぃ〜。ヒロくん、口移し〜」
「アホか。お前は傷が治ったばかりのアシタカか。飲め飲め」
「むぅ〜」
ぶつぶつ言いながらも、グラスを両手で包み込むようにして持ち、ちびりちびりと飲んだ。
ユウコは、小柄で華奢な体型で、明るい茶髪を頭の上で大きめのおだんごにまとめている。目が大きくて可愛いのだけれど、まあなんというか、化粧映えする顔立ちである(合宿の時、すっぴん顔を見たことがあるのだけれど、別人だった)。自分の体型とキャラクターに合った服を選ぶから、センスの良し悪しの前に、すごくよく似合う。飲み会の時は酔う女子はスカートは穿いてはいけないという鉄則もちゃんと守ってるし。その辺りの粗相のなさには好感が持てた。
彼女は、持ち前の明るさもあり、誰とでもすぐに仲良くできる。それ故に、俺も告白された時はすごく驚いたのだけれど。だって、およそ俺に魅力があるとは思えないから。
一口二口水を飲み、しかめ面をしながらユウコがグラスを俺との間に置いた。
「おい、ヒロユキぃ〜、これ美味くねーぞっ」
「水だもん、うまくはないかもな。でもそんなこと言うと難民の皆さんに失礼だぞ」
「意味わかりませーん、バカユキぃ〜」
「なんだそれ。酔っぱらいにバカとか言われたくな…」
言い終わらないうちに、ユウコの顔が目前まで迫り、唇にマシュマロを押しあてたような柔らかい感触があった。カシャン、とガラスの音がして、ジーパンに冷たさが広がった。
「……二つの意味で何してんだよ」
「ん?キッスだよ☆」
「……そーゆーのは女の子からするもんじゃありません」
言いつつ、俺は、手近にあったテーブルからペーパーを引っ張り、床を拭く。店員からダスターを借りる。
「だってさぁ〜」
ユウコは、頬をふくらませて拗ねた子供のようにして言った。
「ヒロくんってさぁ、受け身じゃんかぁ。あたしのことも『いやじゃないからいいや』って感じじゃない?心ここにあらずだしぃ。あたしからしなかったら、君、一生してくんないでしょ」
ジーパンの冷たさが、足を冷やした。拭いても、ほとんど意味はなかった。
「そーゆーのってさぁ、ムカつくじゃんかよぉ〜。会話してんだか一人で空気に向かって喋ってんだかわかんなくなる」
ユウコの言葉は残酷に、俺を刻み込む。
「あたしのことちゃんと見ろよぉ〜、バカユキ!」
俺は返す言葉もなく、黙って床を拭いた。顔を上げるとユウコは寝息をたてていた。そうだ、酔うとすぐ寝るタイプだった。まあ、彼女、小柄だから運ぶの楽だし、下手に絡み酒するタイプよりもマシな気もする。
小さくため息をつき、とりあえず座敷に運ぼうと彼女を抱きかかえた。そういえば前も合宿か何かで彼女を運んだことがあった。思い返せばその辺りからだ、ユウコの態度がなんとなく変わってきたのは。そのときは何とも思わなかったが、考えてみれば彼女からのサインに、心当たりはたくさんあった。俺は言われるまで全く気に留めていなかったのか。
振り返って座敷に向かい、一瞬固まった。ひとみが、廊下にたたずみ、じっとこちらを凝視していた。どこから見られていたのだろうか。
ひとみは、何も言わずに口を真一文字に結んで、大股に俺の横を通り抜けた。
「ひとみ」
呼び掛けにも、彼女は応えない。俺は、とりあえずユウコを菅原に預け、彼女の後を追った。




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